2008年7月7日月曜日

韓国人も世界で落書きしまくり

1990年代初め、ある韓国人バックパッカーがポルトガルの古都・シントラへ向かう駅に降り立った。シントラの
王宮にたどり着くには、まずバスに乗り、さらに山道を行かなければならないが、旅費を節約しようとひたすら
歩いた。1時間ほど歩いたところ、下腹が痛くなってきた。腹を押さえ我慢した末、ようやくトイレを見つけた。
だが、「ポルトガルの山奥のトイレに韓国人初の足跡を残した」という胸のときめきはつかの間だった。
トイレのドアには「We are everywhere‐Korean」(韓国人はどこに行ってもいる)という落書きがあったのだ。

 ギリシャ・アテネの南東、ポセイドン神殿の柱には、イギリスの詩人・バイロンの落書きが残っている。
「わたしは決して卑劣な生き方はしない。白鳥のよう生き、白鳥のように死ぬ」。西洋人の落書きはこのように
小さな感動を残すが、東洋人はよく自分の名前を残す。世界の隅々に至るまで、どの文化遺産や観光地にも
「○○○が来た」「○は○を愛している」など、韓国語の落書きがない所はない。十数年前には、韓国の登山隊
がヒマラヤ山脈アンナプルナの岩壁に落書きをして批判された。

 落書きが社会問題になったことから、同聖堂に落書きをした別の日本人たちもやり玉に挙がった。京都の大学
生3人は停学処分を受け、2年前に新婚旅行で当地を訪れ夫婦で名前を書いた高校野球部の監督は解任された。
イタリアの新聞各紙はこれを伝え、「落書きはひどいが、解任や停学はイタリアでは考えられない厳罰」と驚いた。

 この聖堂には、フィレンツェを征服した貴族の落書きをはじめ、イタリア語や英語の落書きも少なくないという。
だが、ここを訪れた人々は、「韓国語を含め、アジア圏の落書きのほうがずっと多い」と話す。東洋の「落書き癖」は
特別なのだ。そこには「落書き禁止」と書かれていれば余計に書きたくなる心理があるという。日本の社会は
「日本人の落書きは国の恥さらし」と興奮気味だ。少し大げさな気もするが、その一方で「韓国人は落書きという
醜態に無関心過ぎるのでは」と反省させられる。

http://www.chosunonline.com/article/20080705000041

0 件のコメント: